![]() 林 秋路 昭和44年8月(66歳) |
おわら絵姿の第一人者の「秋路」を語る人たちが多く、その殆どは、 - この町のとりわけひとり善人の秋路笛ふく月夜あかりに - と詠んだ歌人「吉井勇」との交流を口にする。昭和20年雪深い八尾町へ疎開した勇が、和紙をすき、共に飲んだ秋路を、上梓されただけでも七十三首よんでいる中の一首である。数えの三歳で父と死別した秋路は、器用であった母の愛を一身に受けて育ち、義務教育を終えて上京。洋品店に奉公して昭和2年帰郷。洋品店を開く。その頃、鏑木清方、伊東深水ばりの美人画を発表。おわら保存会発足に参与し、小杉放菴等文人画客との交流が繁くなり、おわら絵制作の芸術意欲に情熱を傾ける。 昭和7年頃版画を彫りはじめ、昭和12年に紙すきを習得、洋品店を閉じ、自宅に紙すき場を作り板画や絵の原画を自作。放菴も、また勇も秋路のこの和紙を好んで使用する。日本民謡協会の初代会長、浦本政三郎から機関誌「民謡」の表紙絵と題字を依頼され、三日月の夜のおわら踊りを画き、日展特選級の折紙を付けられ、中央で「八尾おわら」を絵でその評価を得た秋路の功績は大きい。 無性に酒好きであった秋路は、飲めば飲むほど人おじし、たまらなく人間好きで、句やおわら歌も詠み、自分をかざらない野佛のような人であった。 昭和48年、町の文化功労者として表彰された秋路は、翌年、生涯にわたって苦労をかけた最愛の妻と、それぞれに成長した4人の子供らに看取られて逝く。享年70歳。 文・赤羽一男 |
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