諏訪町曳山

SUWAMACHI HIKIYAMA

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起 源:明治2年(1869年)

御神体:神功皇后(じんぐうこうごう)、竹内宿禰(たけうちのすくね)

     応神天皇(おうじんてんのう)

家 紋:五三桐(ごさんのきり)

見 越:金龍、周の武王を護るの図

大 彫:樊噲鴻門破りの図

八枚彫:許由、巣父など

小脇彫:鯉の滝登りなど

屋 根:金色の鳩

​諏訪町は当初、明和7年より獅子舞を担当していましたが、明治2年に曳山を造り、獅子舞を鏡町に譲りました。屋根には、金色の鳩で諏訪社のご神木であった大ケヤキを使用。大彫は上新町から譲り受けたもので、八尾曳山の中でも古い時代に作られたものです。

また、御神体は、地元八尾の名工・翠田彦七郎(みすたひこしちろう)の傑作です。

​ 御神体

神宮皇后は神託をうかがい、新羅遠征に向かいました。皇后の船はたくさんの魚に背負われ、順風にのって新羅に到着し、大武勲を挙げました。また、傍らの竹内宿禰は日本で一番長生きしたと伝えられる人物で、300歳まで生きたと言われています。竹内宿禰が抱いている赤子は、後の応神天皇です。

諏訪町人形

​ 大 彫

漢の劉邦が秦を滅ぼした後、鴻門(こうもん)の地で項羽と会見に臨み、あやうく殺されそうになったところを、樊噲(はんかい)の豪気により難を逃れたという故事が描かれています。明治7年に上新町より譲り受けた作品です。

諏訪町大彫

​ 見 越

殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を滅ぼすために、周の武王は殷軍と戦いました。この時、殷の武将の方相が長槍でもって武王を突こうとすると、金龍が現れて武王を護り、方相を退けたという逸話が描かれています。この彫物の原図は江戸時代の橘守国の『絵本写宝袋』にあり、彫刻用の下絵図が今も井波の番匠屋に残されています。

諏訪町:見越『金龍、周の武王を護るの図』

​ 八枚彫

諏訪町:八枚彫『許由と巣父』

許由(きょゆう)と巣父(そうほ)は、二人とも中国の伝説上の人物で、許由は堯亭(ぎょうてい)から「位を譲る」という話を聞いて、耳が汚れたと言って滝で耳を洗いました。ちょうどその時、巣父が飼っている牛に水を飲まそうと牛を連れてきましたが、汚れた水を大切な牛に飲ませるわけにはいかないと、そのまま牛を連れ帰ったそうです。世俗の名誉や価値にとらわれない隠者の姿が描かれています。

​ 屋 根

八幡社の総本宮である宇佐八幡宮神(応神天皇)の神霊が、後に「金色の鳩」に変じたとされる伝承に由来し、諏訪社の御神木大欅の一部によって制作されました。

諏訪町:屋根『金色の鳩』

​ 小脇彫

諏訪町:小脇彫
諏訪町:小脇彫
諏訪町:小脇彫