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今町曳山

IMAMACHI HIKIYAMA

今町曳山

​御神体は天神さまの菅原道真公で、京都の人形師の作と伝わります。大彫は、左右を挟む小脇彫と下部の蹴込みが一体となって迫力があります。

また、屋根の下の組み物、高欄の彫り物があるのも特徴です。彩色には城端塗(じょうはなぬり)の大家で白漆で有名な、小原治五右衛門(おはらじごえもん)の手によるものが多く残っています。

起 源:明治2年(1869年)

御神体:神功皇后(じんぐうこうごう)、竹内宿禰(たけうちのすくね)

     応神天皇(おうじんてんのう)

家 紋:五三桐(ごさんのきり)

見 越:金龍、周の武王を護るの図

大 彫:樊噲鴻門破りの図

八枚彫:許由、巣父など

小脇彫:鯉の滝登りなど

屋 根:金色の鳩

​ 御神体

菅原道真は平安時代の学者で、歌人で政治家でもありました。道真の死後、朝廷と藤原家に落雷による死傷者や子女の病死が続いたため、道真の祟りと恐れられました。そこで道真と流刑中の子ども達の罪が許され、贈位されて復権しました。

今町菅原道真

​ 大 彫

琴高仙人は中国周代の琴に秀でた仙人で、長寿の仙術で800年も生きたと伝えられています。河南、河北のあたりを200年ほど放浪した後、弟子たちに「龍の子を捕ってくる」と言い残して川に飛び込みました。約束の日に、弟子や多くの人たちが川辺で待っていると、琴高仙人は大きな鯉にまたがって現れたと言われています。

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​ 見 越

文王は周王朝を創始した武王の父です。文王がおこなった戦は、信義と大義名分に則ったもので、仁政によって国を豊かにしました。後に儒家から聖王として崇められ、為政者の手本となりました。

太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう)は、文王の父「大公」が「望」んでいた軍師で、文王、武王父子を補佐して周王朝の創建に貢献しました。太公望は歴史上の重要な人物であるにも関わらず、数々の伝説に包まれた謎の多い人物です。

​ 八枚彫

今町曳山の彫刻は、中国の「二十四孝」の物語で統一されています。八枚彫には「郭巨」「孟宗」「閔子騫」「老来子」「揚香」「丁蘭」「董永」「曽参」が描かれ、高欄腰彫には「呉猛」「文帝」、見越下長彫に「大舜」「剡子」と、合計十二人の孝子の物語で曳山が飾られています。

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​ 屋 根

今町曳山の屋根に、飛龍一対(尾びれの数の違いから、雌雄と思われる)が鉾留として鎮座しています。飛龍とは翼を持った龍のことで、応龍とも呼ばれ水を司る霊獣と伝えられています。

八尾町のシンボル「城ヶ山(じょうがやま)」は古くは龍蟠山(りゅうばんやま)と呼ばれ、麓にある八尾小学校は龍蟠小学校と言われていました。「龍蟠」→「蟠龍」とは、とぐろを巻いた龍を意味し、その周りを飛び回る翼を持った子どもの龍を飛龍と言います。八尾小学校の校章には、向かい合う翼を持った飛龍が描かれており、母なる龍蟠山を飛び回る飛龍になぞらえて、八尾の子ども達の元気な姿が象徴されているものと思われます。

​ 小脇彫

今町小脇彫「梅に虎」

​『梅に虎』

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今町小脇彫「松に鶴」

​『松に鶴』