東町曳山
HIGASHIMACHI HIKIYAMA
東町曳山全体像
起 源:寛保2年(1742年)
御神体:小野小町(おののこまち)、深草少将(ふかくさしょうしょう)
家 紋:笹竜胆(ささりんどう)
見 越:建礼門
大 彫:国姓爺
八枚彫:飲中八仙歌
小脇彫:獅子の子落としなど
屋 根:二重屋根
東町の曳山の最大の特徴は屋根が二重屋根になっていることです。大彫や見越(けんけし)は、宮大工でもあった彫師・井波町番匠屋9代北村七左衛門(きたむらしちざえもん)の力作が揃います。特に見越は、薄彫りですが立体感のある見事なつくりです。
また、彩色も長谷川等伯(はせがわとうはく)の流れを汲む、長谷川派の見事な彩色が目をひきます。小脇彫は、京都の浅井広信の彩色によるもので、「獅子の子落とし」は獅子の子が中に浮いているように見える名作です。
御神体
小野小町は日本美人の代表とされ「小町娘」の言葉まで残っています。また深草少将は良岑宗貞(後の僧正遍照)がモデルになっています。二人とも和歌に優れて六歌仙に数えら『古今和歌集』にも多くの歌を残しています。人形は延享2年に生糸商・松居屋八兵衛の寄進によるものとされています。
大 彫
鄭成功(ていせいこう)は九州の平戸に生まれ、妻を娶って平穏に暮らしていました。しかし、父の祖国である明朝を復興させるために大陸に渡り、南京城で韃靼兵(だったんへい)を攻め滅ぼし、皇子を皇帝の位に就けました。この物語は近松門左衛門によって人形浄瑠璃や歌舞伎などで知られるようになり、当時の人に大人気を博しました。
彫師の北村七左衛門は、橘守国(たちばなもりくに)に狩野派の画法を学び、見事な毛彫りで虎の迫力を表現しています。
見 越
建礼門は内裏南面にある正門で、天皇専用の門です。薄彫りでありながら、正確で立体感を感じさせるこの彫物は、宮大工棟梁でもあった北村七左衛門の力作と言えます。
八枚彫
八枚彫の題材は唐詩選『飲中八仙歌(いんちゅうはっせんか)』に登場する8人の人物(詩の順番は知章・汝陽・左相・宗之・蘇晋・李白・張旭・焦遂)の酔い姿が彫ってあります。(作詩者の杜甫は8人の酔態をユーモアこめて七言古詩に詠んでいます)。彩色は長谷川等叔(雪舟、長谷川等伯と続く長谷川派)と言われています。
屋 根
東町の曳山の屋根は二重屋根となっています。上重は放射線状に延びた扇垂木(おうぎたるき)、下重は直線状に延びた繁垂木(しげたるき)によって天守閣のような趣をかもし出しています。安政六年(1859)に上重の普請を行っており、井波の松井長平の名前が記録されています。
小脇彫
小脇彫は北村七左衛門をはじめとする番匠屋の手による作品が前後左右計8枚あります。見どころは背面の「獅子の子落とし」の図で、獅子の子があたかも宙に浮いているように見えます。