起源:安永4年(1775年)
御神体は天神様の菅原道真公で、京都の人形師の作と伝わっています。大彫は、左右を挟む小脇彫と下部の蹴込みが一体となって迫力があります。
また、屋根の下の組み物、高欄の彫り物があるのも特徴です。彩色には、城端塗の大家で白漆で有名な小原治五右衛門の手によるものが多く残っています。
【紋:梅鉢】
人形
「菅原道真」
菅原道真は平安時代の学者で、歌人で政治家でもありました。道真の死後、朝廷と藤原家に落雷による死傷者と子女の病死が続いたため、道真の祟りと恐れられました。そこで道真と流刑中の子供たちの罪が許され、贈位されて復権しました。
【製作:京都 製作者:不祥 安永4年(1775)以前】
大彫
「琴高仙人」
琴高仙人は中国周代の琴に秀でた仙人で、長寿の仙術で800年も生きたと伝えられています。河南、河北のあたりを200年ほど放浪した後、弟子たちに「龍の子を捕ってくる」と言い残して川に飛び込みました。約束の日に、弟子や多くの人たちが川辺で待っていると、琴高仙人は大きな鯉にまたがって現れたと言われています。
【慶応2年(1866)彫師:金剛寺屋岩倉理八 彩色:城端11代小原治五右衛門】
見越
「周の文王、太公望呂尚迎えの図」
文王は周王朝を創始した武王の父です。文王が行った戦は、信義と大義名分に則ったもので、仁政によって国を豊かにしました。後に儒家から聖王として崇められ、為政者の手本となりました。太公望呂尚は、文王の父「太公」が「望」んでいた軍師で、文王、武王父子を補佐して、周王朝の創建に貢献しました。
【慶応3年(1866)彫師:井波町番匠屋田村興八郎 彩色:城端小原治五右衛門】
八枚彫
「閔子騫」
今町曳山の彫刻は、中国の「二十四孝」の物語で統一されています。八枚彫には「郭巨」「孟宗」「閔子騫」「老来子」「揚香」「丁蘭」「董永」「曽参」が描かれ、高欄腰彫には「呉猛」「文帝」、見越下長彫に「大舜」「剡子」と、合計12人の孝子の物語で曳山が飾られています。
【明治6年(1873)彫師:井波町番匠屋田村興八郎 彩色:城端小原治五右衛門】
屋根
「飛龍」
今町曳山の屋根に飛龍一対(尾びれの数の違いから、雄雌と思われる)が鉾留として鎮座しています。飛龍とは翼を持った龍のことで、応龍とも 呼ばれ、水を司る霊獣と伝えられています。八尾町のシンボル「城ヶ山」は、古くは龍蟠山と呼ばれ、麓にある八尾小学校は龍蟠小学校と言われていました。「龍蟠」→「蟠龍」とは、とぐろを巻いた龍を意味し、その周りを飛び回る、翼を持った子供の龍を飛龍といいます。
【昭和10年(1935)彫師:井波町 堀豊治 彩色:城端11代小原治五右衛門】
提灯山
今町の提灯山には、紋入りの紅白の提灯が用いられており、交互に並んだ色のコントラストは、とても美しいものです。