かみしんまちひきやま
上新町曳山
![IMG_0864[1].JPG](https://static.wixstatic.com/media/3114b8_ef31d1670dd7401bb6a8b2908cfd0bf5~mv2.jpg/v1/fill/w_198,h_158,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/IMG_0864%5B1%5D_JPG.jpg)
起源:寛保元年(1741年)
寛保元年(1741)、上新町の花山に人形と役者を乗せて曳き廻したのが、八尾曳山祭の始まりとされています。
御神体は、在原業平と供女。この人形は、富山藩前田家のひな人形であったもの、富山藩大仏師 治郎兵衛による元禄年間の作品で、曳山起源より古いものです。大彫は、井波町番匠屋12代田村與八郎による迫力ある力作です。
【紋:業平菱】
にんぎょう
人形

ありわらのなりひら・ともじょ
「在原業平・供女」
在原業平は忠孝を重んじた人であり、美男ながらも伝えられるような優男ではありません。時には権力にも対抗した偉傑で、才学にもすぐれ、風流をも愛した人物で、『古今和歌集』の代表的な歌人として、六歌仙の一人に数えられています。元禄3年(1690)、上新町の町建を果たした信濃屋喜右衛門が藩主から拝領したと伝えられる人形「在原業平」は昭和35年に実施された調査で「ト山阿ら町(富山荒町)大仏師治郎兵衛」という作人の名前が発見され、寛保元年(1741)の上新町曳山の起源より、さらに50年あまり古い歴史を有する人形だという事が判明しました。
おおぼり
大彫
![IMG_2922[1]_edited.jpg](https://static.wixstatic.com/media/3114b8_23d34f99dfa7479ba64307feda41efa0~mv2.jpg/v1/crop/x_50,y_0,w_2093,h_1911/fill/w_380,h_347,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/IMG_2922%5B1%5D_edited.jpg)
かんうしょをよむのず
「関羽書を読むの図」
関羽は、諸葛孔明、張飛らと力を合わせ、劉備玄徳を皇位につかせた大功臣で、身の丈8尺5寸(約257.5cm)、ひげの長さは1尺8寸(約54cm)で腹を過ぎると言われました。関羽愛用の青龍刀の重さは十二斤(7.2㎏)あまりで、如何なる大軍といえどもこれをふりかざして進めば、ことごとく道を開き、あたかも 草が風になびくようであったと記されています。
【明治7年(1874)彫師:井波町番匠屋興八郎】
けんけし
見越

たけのうちのすくねにりゅうじんがふるたま・みつたまをたまわるず
「武内の宿禰に龍神が乾珠・満珠を奉る図」
神功皇后が朝鮮に渡ろうとしたとき、龍神が現われ、皇后の参謀として活躍していた武内宿禰に塩乾珠と塩盈珠を献上し、航海の安全を守護したという伝説を彫りあげています。塩乾珠は海の潮を干し、塩盈珠は満潮にする珠で、海水の干満を自由に操ることができる不思議な霊力を秘めた宝玉です。
【天保7年(1836)彫師:井波町田村七蔵、彩色人:永信齋藤原良得】
はちまいぼり
八枚彫

らんていのず
「蘭亭の図」
「蘭亭曲水」は、中国東晋時代の永和9年(535)3月3日に、王義之が浙江省の蘭亭に文士を集め、流水に杯を流して、杯が自分の前を過ぎる前に詩を作る、風流心あふれる趣向のことです。「蘭亭の図」に表現された文人たちの知性豊かな楽しみは「曲水流觴」とも言われ、風雅の極みを表現しています。
【天保14年(1836)彫師:井波 岩倉理八】
やね
屋根

だいほうおう
「大鳳凰」
鳳凰は、天下が泰平すると姿を現すと伝えられる空想上の瑞鳥で、『荘子』の『内篇・逍遥游』に出てくる鵬のことです。また、「鳳凰」はそれぞれ2羽の鳥で、「鳳」は雄、「凰」は雌をあらわすとも伝えられています。
ちょうちんやま
提灯山

夜には彫刻をすべて外して提灯に付け替えます。