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越中八尾曳山祭


八尾の歴史
江戸時代、八尾の町は蚕種、生糸、和紙、木炭など山あいの生産物を売買する集散地として栄えました。
この町の財力は、富山藩の財政蔵として御納戸所(おなんど)言われ、富山藩の収益のうち多い時には6割以上賄えたほど豊かでした。
八尾町人たちは、自分たちが築いた財力を基盤に、贅を尽くした彫刻や彫金、そして漆工・金細工などで飾った曳山を作りました。
曳山の起源
八尾曳山の起源は、寛保元年。
八尾八幡社の例祭が行われた際、上新町が花山を作り、その上に富山藩主より拝領した在原業平の人形を飾って曳き廻したのが起源と言われています。
その後、東町・西町・今町・諏訪町・下新町が曳山を作り、それぞれの財力を競い合うようにして豪華な曳山になっていきました。

曳山
八尾曳山の構造は、2層の人形屋台形式になっています。
上層部の4本の柱には、各町の紋が入った天幕が張られ、中には御神体の人形が祀られています。
下層部の簾の中では、太鼓や笛、三味線を奏でる囃子方によって、曳山囃子が演奏されます。
また上層部の上には、天守閣のような豪華な屋根が飾られ、見る者の目を惹きます。
屋根の四隅には瓔珞と呼ばれる飾り金具が下げられていて、曳山の動きに合わせ心地よい音色を響かせます。

彫刻
下層後方の大彫・上層後方の見越のほか、四方に飾られた8枚の八枚彫、柱の脇に飾られた8枚の小脇彫に高欄など、多数の彫刻が彫 られています。
彫刻の内容は、謡曲や文学、芸術に根差した作品が多く用いられていますが、不老長寿を得た仙人たちの姿も随所に見られ、健康で長生きしたいという庶民の願いが表現されているようです。
彫金
組み物や屋根下の垂木などには、金箔や蒔絵が施されており、柱や長押、車輪などには、漆や彫金が多数用いられており、豪華絢爛な装いとなっています。


漆工・彩色
彫金や漆芸、彩色などの技法を駆使して、曳山全体がきらびやかに飾られ ており、先人の美的感性の高さと名工の高度な技が光ります。
各町の曳山の紹介
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