

おわら風の盆Q&A
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令和6年おわら風の盆前夜祭は中止です。
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おわら風の盆は八尾町(やつおまち)で旧町と呼ばれる「東新町、西新町、諏訪町、上新町、鏡町、東町、西町、今町、下新町、天満町」と井田川をはさんだ対岸の「福島」を併せた合計11の町で行われます。
11の町それぞれに「富山県民謡越中八尾おわら保存会」の支部が組織されていますので、支部毎の町流しの趣を、どうぞご随意にお巡りください。
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おわらの町流しは、11あるおわら保存会支部がそれぞれ一団となって、町の通りを唄い踊りながら流すもので、昔からのおわらの姿がここにあります。町流しには踊りと地方が一体になった町流しと、地方だけの町流しがあります。
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令和6年おわら風の盆のステージは、富山市八尾曳山展示館内のホールで鑑賞できます。
【料 金】自由席 3,500円(税込)
【時 間】1部 18:00~18:50
2部 19:10~20:00
【問合せ】おわら風の盆行事運営委員会 TEL:076-454-5152
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各支部で事情が違いますので、各支部の指示に従ってください。なお、ご参加いただく際に服装の決まりはありません。
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原則中止です。おわらに使用する楽器は雨が降ると使用不能になることや、高価な衣装を保護する必要があるなど、ご理解いただきますようお願いいたします。
ただ、雨が上がって地面の状態が良ければ再開することもあります。これは各支部の判断に委ねられています。
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案内所や仮設トイレは、JR越中八尾駅前、バス乗降所等の主要な場所に設置されています。八尾町は坂が多く、道幅の狭い町並みが特徴です。混雑を念頭に置き、時間と気持ちに余裕をもって行動してください。
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八尾に飲食店は数件しかありません。夕食の時間には大変混雑しますので、夕食を取られてからゆっくり行事のご観覧に集中されることをおすすめします。
また、休憩できる場所や施設、喫煙所はありません。
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八尾の町中のお店でお土産を販売している他、オンラインショップでもお買い求めいただけます。
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八尾町に預け場所やコインロッカーはありません。
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おわら風の盆行事運営委員会へお問合せください。TEL:076-454-5152
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八尾町内にお宿は数件しかありません。また、八尾町内や近隣のお宿は、比較的早い時期に予約されております。宿情報についてはこちら
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スポーツアリーナ、ゆめの森テニスコート、八尾総合病院を予定しております。
詳細はこちら
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JRでお越しの場合は、高山本線・越中八尾駅が最寄りとなります。
詳細はこちら
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越中八尾駅に到着されますと、そこは福島支部となりますのでそちらで町流しを見ていただけます。福島から一番端の西新町までは約3kmあります。ゆっくり歩いて(3km/時)約60分かかります。
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写真撮影は可能です。ただしフラッシュ撮影や三脚の使用は禁止いたします。
他の見学者のご迷惑にならないようご配慮ください。
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おわら風の盆行事は23時までとなっております。行事時間が終わってから、各町(支部)の方が行事としてではなく、自分たちが楽しむ為に踊られる事はございます。
時間やどの町で踊っているか等につきましては、行事時間外のため確認いたしかねますので、お客様自身で探していただく事になります。
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履きなれた歩きやすい靴でお越しください。おわら風の盆が開催される町中は交通規制がかかり、車両が一切通れません。移動は徒歩のみとなる上に、八尾は坂が多く、行かれる支部によっては長時間歩くことになります。
また、雨具(傘は混雑している中危険ですので、カッパ推奨)や、足元を照らす懐中電灯(移動される道中に暗い箇所があります)などがあると便利です。
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文化9年(1812)の秋、遊芸の達人たちが滑稽な変装をして新作の謡を唄いながら町練りを行い、謡のなかに、“おわらひ”という語を差し挟んで唄ったのが「おわら」に変わったという《大笑い節説》、豊年を祈り藁の束が大きくなるようにとの思いから“大藁”が転じて「おわら」になったとの《大藁節説》、八尾近在の“小原村”出身の娘が女中方奉公中に、得意の美声で歌った子守唄が起源だとする《小原村説》等が語源とされています。
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元禄15年(1702)、八尾町の開祖米屋少兵衛(こめやしょうべい)の子孫が保管していた、町建ての重要秘密文書の返済を得た喜びの祝いとして三日間、唄・舞・音曲を町内総出で町内を練りまわったのことが「おわら」の始まりとされています。
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「豊年踊り」は大正9年、おわら節研究会の設立が契機となり現在の形に改められました。
男踊り・女踊りの「新踊り」は昭和4年、越中おわら保存会の結成後、若柳流の若柳吉三郎の振り付けにより現在の洗練された舞踊となりました。
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立春から数えて二百十日にあたる日が台風の厄日とされてきたことから、五穀豊穣を祈る行事として「風の盆」という呼び名が付けられました。
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おわらには「豊年踊り」「男踊り」「女踊り」の三通りの踊りがあります。町流しや輪踊りを中心に踊られるのが「豊年踊り」、
舞踊的な踊りで主にステージなどで披露されるのが「男踊り」と「女踊り」です。
・豊年踊り・・・最も古くからある素朴な踊り
・男踊り ・・・「かかし踊り」ともいわれる勇壮な踊り
・女踊り ・・・「四季踊り」ともいわれ、春夏秋冬それぞれに異なった所作がある。
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その昔、おわらの衣装を揃えた際、帯まで手が回らなかったので、大多数の人が持っていた冠婚葬祭用の黒帯を用いて踊った名残です。
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風の盆の町回りが始まった当初は、照れや恥ずかしさから人目を忍び、手ぬぐいで顔をかくして踊ったといわれますが、それが編笠に代わったといわれています。
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若柳吉三郎によって男踊りが振り付けられた際、はっぴ姿で踊りが振り付けられたそうです。勇壮な踊りには、はっぴ姿が粋であったのではないでしょうか。
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おわら節を唄い演奏する者を「地方(じかた)」といい、三味線・胡弓・太鼓が楽器として使われます。
三味線は地歌(じうた)三味線と呼ばれるもので、棹(さお)の太さは中棹で紅木(こうき)・紫檀(したん)などで作られています。
胡弓は、もともとは中国から伝わった三味線より小型の楽器で、馬の毛を張った弓を擦り合わせて音を出し明治の終わりごろから「おわら節」に使われるようになりました。
太鼓は「しめ太鼓」という小型のものです。昔は尺八も使用されていたようですが現在は使われていません。
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民謡事典でも「越中おわらに欠かせない楽器」と紹介されるほどおわらの世界に溶け込んでいる楽器で、不思議なことに他の民謡や邦楽ではほとんど使われません。
明治後期から大正初期にかけて、当時浄瑠璃で名を上げていた松本勘玄が八尾によく出入りしており、その時に伝えたとされています。
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越中おわら中興の祖といわれる初代おわら保存会長の川崎順二が、ともすれば野卑に陥りがちだった当時のおわら歌詞を立て直そうと、昭和初期に小杉放庵や野口雨情、長谷川伸、佐藤惣之助、川路柳虹等の著名な文人墨客らを私財を注ぎ込んで八尾に招き「八尾四季」をはじめとする秀歌を詠ませ、現在のおわら歌詞の基礎を築いたといわれています。
また、おわら独特の高く繊細な調子で上句、下句を一息で唄いきる唄い方は、大正時代の中頃に浄瑠璃語りの江尻豊治が完成させたとされています。